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被爆者とともに歩んで半世紀

広島中区生活と健康を守る会 三村正弘さん

 今年で第二次世界大戦(太平洋戦争)の終戦から74年。終戦間際の1945年8月6日、9日に投下された広島、長崎への原子爆弾による被害は、人類史上最悪の出来事の一つとして決して忘れられません。広島中区生活と健康を守る会事務局長の三村正弘さん(73)は、その原爆被害者の一人。今日までの道のりを取材しました。

 三村さんはこれまで医療ソーシャルワーカー(MSW)として、極限の人権侵害である原爆被害を受けた人々とともに歩んできました。
 自身も母親のおなかの中で被曝。中学3年生の時(60年)に両親をがんで失い、原爆孤児となりました。その後、中学・高校時代に出会った「広島折鶴の会」世話人の河本一郎さん夫妻や、児童文学作家の山口勇子さんとの交流が、人生の流れをつくりました。
 高校卒業後、1年間新聞社で働き学費をためて、奨学金も受けながら日本福祉大学に入学。ゼミでは生活保護法を中心に学びました。69年に大学を卒業後、広島市の福島生協病院相談室でMSWとして働きはじめます。

「相談員の会」結成

 当時、県内のMSWは10人。ここに被爆者の人たちが相談に訪れます。被爆者健康手帳や原爆症認定申請について、「こういう書き方をしたほうが通りやすいらしい」など、事例を共有しながら前に進めてきました。
 そして81年、三村さんたちは「原爆被害者相談員の会」を発足させます。これは厚生省(現厚生労働省)の私的諮問(しもん)機関が発表した『原爆被爆者対策の基本理念及び基本的な在り方について』という厚生大臣への意見書が一つの契機となりました。原爆被害を矮小(わいしょう)化、さらに戦時下における「一般の犠牲」として「受忍」すべきだという意見書です。
 被害に対する国家補償を求めていたMSWたちはこれに怒り、20人の被爆者とともに厚生大臣あての直訴状を送ります。同時に、自分たちの知見を広め被爆者運動に生かすことや、被爆者の立場に立って活動できる場を切望したのです。
 会は相談活動に主軸を置き、被爆者の「自分史」の作成(『生きる ―被爆者の自分史―』第5集まで発行)、被爆証言の場づくりなどをしてきました。現在は、原爆症認定問題や在外被爆者問題で、弁護士と連携しながら司法の場でも闘っています。
 今年8月6日には、発足から38年になる会の活動をまとめた『ヒロシマのソーシャルワーク ―不条理の是正という本質に迫る―』(かもがわ出版・相談員の会編著・定価1800円)を発行しました。

三村さんの「自分史」

 会はこれまで、原爆被害者56人の「自分史」を、『生きる』という本5冊にまとめてきました。自分の人生に原爆がどう影響したのかを書いていく自分史。三村さん自身はまだ書けていません。
 「自分は半被爆者、半孤児」ではないかという中途半端さを感じつつも、被爆者の権利を守るために社会を変える運動にまい進してきた三村さん。両親を亡くしてからの数年間の感情をまだ整理できません。「“終活”だよ」と笑いながら、再来年発行予定の『生きる』第6集への掲載を目指し、自分史の執筆に挑戦しています。

(2019年8月11日号「守る新聞」)

 
   
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