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阪神・淡路大震災から25年

街並み復興するも生活は程遠く

 1995年1月17日午前5時46分に発生した兵庫県南部地震により、兵庫県を中心に大被害をもたらした阪神・淡路大震災。戦後初の大都市直下型地震の後の神戸市などのすさまじい光景は、日本のみならず世界中を震撼させました。あれから今年で25年。今年も同日に各地で犠牲者を悼む行事が行われました。復興状況など、兵庫県生活と健康を守る会連合会の泉伸忠事務局長からの報告です。

犠牲者に黙とう

 6434人の犠牲者を出した阪神・淡路大震災から25年目の1月17日に、神戸市、阪神地区、淡路島の各地で追悼の慰霊祭が行われました。地震の発生が早朝の5時46分でしたので、この日も野外では、早朝から各地で地震発生時刻に合わせて、犠牲者に対する黙とうから慰霊祭が始まりました。さすがに25年もたつと、残された人たちも高齢化し、震災を経験していない人もずいぶん増えてきました。
 そうした中で、今年も阪神淡路大震災・復興県民会議が主催して神戸勤労会館で犠牲者の鎮魂と復興状況の確認のためのメモリアル集会が行われ、約250人が参加しました。参加した各方面の人たちから復興の報告、問題点、生業の回復のために闘ってきた成果の報告、連帯のあいさつなどが行われました。

要求運動と生活再建

 今年は来賓として北海道厚真町から伊藤富志夫町議に、胆振(いぶり)東部地震による「ブラックアウト」の状況を語ってもらいました。地震対策における想定外の弱点に、まだまだ対策の不備を感じました。
 復興の報告では、被災者が自宅の再建を望んだときに、当初「自由主義経済の資本主義国家では私有財産である自宅再建への補助はできない」と冷たく言い放った政府に対し、多くの市民が怒りを持って要求を突きつけました。今にして思い返せば、ここに市民と野党の共闘の萌芽(ほうが)があったように思います。
 政府の考えを変えさせるためには、一部の野党勢力だけでは不可能なので、多くの市民に訴えるために、核兵器禁止を求める平和行進のように関西各地でパレードを行ったり、街頭で訴えることに力を入れ、震災から3年後の1998年に、議員立法として被災者生活再建支援法の成立にこぎつけました。
 しかし、この制度は住宅再建にはまだまだ程遠いもので、さらなる改善が求められます。
 また、震災当初からあった貸付制度である災害援護資金制度では、生業が回復しない人々による返済不能が続発し、復興兵庫県民会議では返済金額・方法を見直す少額償還や免除を求めて交渉を進めてきました。この運動は一定の成果を上げましたが、今なお返済に苦しむ人々が残されています。

神戸市、西宮市の暴挙

 さらに復興の過程で、仮設住宅から自治体が用意した復興住宅へ移る際に、復興住宅には自治体が建設したもの以外に、自治体が民間・URなどから借り上げたものがありました。借り上げたものには20年という期限がありましたが、震災後の混乱の中で説明の不足や、中には全く知らせていないものもありました。そのことが今、大きな問題になっています。
 ほとんどの自治体は入居者が高齢になっていることもあり、そのまま入居を継続することを認めたのですが、神戸市と西宮市は退去を要請し、従わない高齢者を裁判に訴えるという暴挙に出ました。まさに街並みは復興しても人々の生活は復興には程遠い状況が、まだまだ続いています。
 このことは今後の災害対策への教訓として語り継がなければいけないと感じました。地震や台風は自然現象ですが、それに伴う災害は政治状況がつくり出したものですから。
(泉 伸忠さん)

(2020年2月2日号「守る新聞」)

 
   
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