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沖縄戦犠牲者の遺骨含む土砂

「辺野古」埋め立てに使うな

豊見城市

 1996年4月12日、米軍普天間基地の返還が日本と米国の間で合意されました。返還は沖縄県内への移設を前提として、移設先は名護市辺野古とされ、普天間基地は5年ないし7年以内に返還されるとしていました。しかし合意から25年、埋め立て工期は10年となり従来の2倍、費用は約7201億円で約3倍に膨れ上がっています。そこに「戦争犠牲者の遺骨が入った土砂を使う」という新たな問題が浮上しました。豊見城(とみぐすく)市の市会議員で、豊見城生活と健康を守る会の会員でもある真栄里(まえさと)保さんからの報告です。

軟弱地盤の辺野古

埋め立てに大量の土砂

 現在大きな問題となっているのは、大浦湾一帯に軟弱地盤の疑いがある「粘性土」が水深90メートルまで達しているため、土砂の大量投入が必要になったことです。
 沖縄防衛局は昨年、辺野古新基地の設計変更申請書を沖縄県に提出。この中で、埋め立て土砂の採取地を従来の国頭村(くにがみそん)1村から、ほぼ県内全域の9市町村に拡大したことが明らかになりました。
 自衛隊基地の建設が強行されている宮古・石垣島とともに沖縄戦最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市・八重瀬町が含まれていて、県内調達可能量の7割に当たる3159万6000立方メートルの採取場所としています。
 これまでの計画では土砂のうち「岩ズリ」は県外から調達するとしていましたが、変更後は、必要量を大きく上回る約4480万立方メートルが県内で調達可能としています。沖縄県では2015年、県外からの土砂搬入を規制する条例が制定されたためとみられています。

沖縄戦の戦死者

数多く眠る本島南部

 沖縄本島南部は、日米両軍が住民を巻き込み、相まみえた沖縄戦最後の激戦地といわれています。
 空からは激しい爆撃と機銃掃射、海からは艦砲射撃で命が失われ、追い詰められた住民ががけから身を投げたり、手榴弾(しゅりゅうだん)などで自決を余儀なくされました。予定地とされている場所近くには、「ひめゆり学徒隊散華の跡」との碑が建立されています。
 沖縄県によると、沖縄戦の戦没者のうち、2849柱がいまだ見つかっていません。
 沖縄戦は、全土を焦土と化したといわれていますが、本島南部に追い詰められた日本軍と住民、沖縄戦の死者の6割余が沖縄本島南部に集中しているこの地は、特別な意味を持つ一帯です。住民が戦後、散在する遺骨3万5000余柱を集め納めた魂魄(こんぱく)の塔をはじめ、多くの慰霊の碑が建立されているのも、本島南部です。
 戦没者の血が染み込み、遺骨の眠る地域から土砂を採取し、米軍基地の建設に使用することは、絶対に許されず、死者に対する冒涜(ぼうとく)です。

議会で意見書否決

再決議求め署名活動

 豊見城市議会で3月26日に提案された「沖縄戦の戦没者の遺骨を含む可能性のある土砂を埋め立てに使用しないよう求める意見書」が賛成少数で、野党によって否決されるという事態が起きました。
 否決されたのを受けて、若者グループが立ち上がりました。市役所前で座り込みをして抗議の声を上げ、開始から約1週間で3000筆を超える署名を集めました。中心になったのは、トマト農家です。人工透析を週3回行い、農業の合間をぬって行動する人に、市民の共感が広がり、多くのメディアが取り上げました。
 豊見城市議会が議会を開催し、決議を行うことを求めています。生健会も一生懸命に署名行動に取り組んでいます。
 76回目の慰霊の日を前に、豊見城市議会の対応が問われています。

(2021年5月2日号「守る新聞」)

 
   
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